火の中にある栗を触ったらさぞ熱いでしょうね。私は絶対にやりたくないです。

火中の栗を拾うは勇敢な行動のたとえ?

京田さんの活躍により、稲村監督の本性が明るみに出ました。

京田さんは入院中の市川さんのところへ報告を兼ねたお見舞いに行きました。

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「具合はどう?市川君。」

「京田さん…お見舞いに来てくれたんですか?」

「ええ、心配だから。」

「ありがとうございます。でも、僕はもうだめかもしれません。」

「何で?そんなに悪いの?」

「今はいいです。でも、あの人に会ったらまたきっと…」

「大丈夫よ。稲村監督なら解任が決まったから。」

「え?」

京田さんは市川君に、稲村監督とのやり取りについて話しました。

「そんなことがあったんですか。でも、何で僕のためにそこまでしてくれたんですか?」

2年連続で優勝できていたのは市川君の力が大きかったからでしょ。そのことを忘れて保身のために市川君を切り捨てるなんて許せなかったから。」

「ありがとうございます。でも、一歩間違えたら京田さんの立場が危うかったんですよね?」

「そうね。でも、何もしないわけにはいかないと思ったから。」

「本当にありがとうございます。僕なんかのために火中の栗を拾って頂いて…」

「………」

「あれ?僕、何かおかしなことを言いましたか?」

「ううん、間違ってはいないよ。」

「?」

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火中の栗を拾うの本来の意味は?

「火中の栗を拾う」とは「他人の利益のために危険を冒すこと」のたとえです。

自分の利益になるわけでもないのに、他人のために危険を冒すなんて、格好良いですよね。実に勇敢な…

と言いたいところですが、この言葉の語源を知ると印象がだいぶ変わってきます。

「火中の栗を拾う」はフランスの詩人、ラ・フォンテーヌの寓話「猿と猫」に由来します。

猿におだてられた猫が囲炉裏の中の栗を拾って大火傷をし、その栗はずる賢い猿に食べられてしまったというお話です。酷いですよね。

この猫は勇敢だったのでしょうか?それとも………考えるまでもないですよね。

本来は「他人の利益のために危険を冒して馬鹿をみること」のたとえです。

しかし、美化が大好きな日本人は都合の良いように解釈して、勇敢な行いのような意味で使うようになりました。

辞書にしっかりと載っているので間違いではないのですが、本来は「馬鹿をみること」のたとえなので、自分の行動以外には使わない方が無難かもしれません。

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