「魚心あれば水心」は昔からよく聞く言葉ですが、「魚心・水心」って何でしょうね?

魚心あれば水心とはどんな意味?

長瀬さんはデビュー曲についてわがままを言っている小泉さんを説得することにしました。

カラオケハウスの外で待っていると、小泉さんがやって来ました。

スポンサーリンク


「こんばんは、小泉さん。」

「長瀬さん…何故ここに?」

「そろそろ来る頃じゃないかと思っていたんですよ。小泉さんは練習熱心ですからね。」

「何のご用でしょうか?」

「まぁ、中へ。」

「………はい。」

長瀬さんは小泉さんに新人の心得について説明しました。

「なるほど、長瀬さんたちも最初は大変だったんですね。」

「ええ。今だって事務所に何か言えるほど偉くはないですが、最初の頃なんて多少不満があっても我慢するしかなかったですからね。」

「………」

「小泉さんなら絶対良い歌手になれると思います。でも、今は事務所の方針に従いましょう。そうすれば真中さんも…」

「なるほど、魚心あれば水心ということですね。」

「………まあ、そんなところです。」

「わかりました。これからは魚心を大切にします。」

「………がんばってください。」

スポンサーリンク


魚心、水心って何?

「魚心あれば水心(あり)」とは、「相手が良くしてくれれば、こちらもそれに対して応える気持ちがある。」ということのたとえです。

この「良くしてくれれば」というのは言葉通りの意味なのですが、時代劇で悪い人たちが多用したお陰でかなり印象の悪い言葉となってしまいました。

現代でも、まるで賄賂を要求する時の定番のような言葉として使われています。

魚にとっても水にとっても非常に迷惑な話です。

さて、このことわざに登場する「魚心」、「水心」って何なんでしょうね?

本来は「魚、心あれば、水、心あり」と区切って読むのです。

意味は「魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心を持つ」です。

「魚心」、「水心」は誤読から生まれた間抜けな言葉だというのがわかりますね。

相手の気持ちを理解してあげれば、相手も自分のことをわかってくれる。

そういうありがたい教えだったはずなんですけど、「誤読→誤解」により、悪い人が使うような言葉になってしまいました。

悲しいですね。

スポンサーリンク